- 「読者の意見ホンキでPlayホンネでReview!!」コーナーに掲載された投稿のタイトルと要約の一覧です。基本的に月ごとの掲載順に並んでいますが、他の投稿に対する反論など関係が深いものは、いわゆるツリー形式で整理しました。タイトルが赤字になっている投稿が他の号に掲載されたものです。掲載元の月にもタイトルの先頭に☆印をつけて、簡易的に残してあり、移動先の場所へリンクしてあります。
青字は本文中で言及のあったゲームのタイトル名です。ただし、本文の主旨とは異なるもの(例えば批判意見の中で逆に良いものとして上げたもの)も含まれるため、あくまで参考ととらえて下さい。単なる羅列の場合は載せていません。
なお、要約は半ば強引にまとめたもので、投稿者の主張と異なる内容になっている可能性を否定できません。また、ツリー形式によって反論意見を参照しやすくしたとはいっても、要約の中に議論の対象となった意見が含まれているとは限りませんので、ご了承下さい。できれば、実際に本誌へ掲載されたものを参照して下さい。
1989年1月号
自分のレベルに合った難易度で絶妙のゲームバランス。他のゲームは面ごとで雑。
パソコン版と比較して難解すぎ。バランスが変。音楽も変。
FCらしい気楽さはあっている。売れ線を狙ったゲームには進歩が感じられない。
1989年2月号
皆上手いから難度を上げたというが、MSX2版は低年齢層に配慮し易しくすべき。
早解きは自慢にならない。時間をかけて楽しむものでメーカーも飽きさせない工夫を。
イースIIは飛び道具がつまらない。レベル上げ作業がきつい。EDも今ひとつ寂しい。
リリアの登場は失敗。アドルは単なる女泣かせではないか。リリアのIII登場希望。
アクションとしてはイースの方が上だが、感情移入度が高いのはイースII。
1989年3月号
世界が巨悪による危機にという展開多すぎ。ボスが強すぎて経験値不足は不可解。
RPGは役割を演じるもの。人としての成長より、戦闘の経験が重視されるのはおかしい。
RPGはTRPGから戦闘と成長を独立させたもので、TRPGの「役割を演じる」とは違う。
CRPGのプレイヤーは役割を演じようとしていない。TRPG寄りにする為に行動に規制を。
プレイヤーがいつも能動的である必要はない。マニアはゲームの一部しか見てない。
CRPGのTRPG化はマニアックな発想ではない。良い所をうまくアレンジして取り入れる。
主人公になりきれていない人はやめたほうが良い。ファンタジーは創造の世界だ。
「ハードに限界があるからつまらない」というのは変。ハードの性能と面白さは無関係。
アイデア次第だがそれを生かせるハードは必要。MDならではのアイデアがあるのでは。
社名だけで否定するのは悲しい。有名会社は誇大広告で実際の内容は微妙なものも。
家電製品のように長年の信頼によって作られたブランドイメージも重要な要素。
Reconモードが難しすぎる。自機が早すぎ。コンティニューもない。BGMもイマイチ。
1989年4月号
表示速度が遅い。昔は一度に全文出た。1字ずつ表示する必要はないのでは?
見せることに徹底したゲーム。問題はあるが経験値を無くすというチャレンジは良い。
1989年5月号
AVGも役割を演じる点でRPGとも言えてしまう。起源のゲームを指しているだけ。不要。
経験値はないがアイテムで成長要素がある。マップ上で現在位置がわかるのも良い。
ストーリーを追って楽しむのはいいが、決められたレールを走るのはゲームじゃない。
一長一短があり、結局プレイヤーの好みや感性だ。 / 新譜試聴室のGMはよい。
はじめは単調で音楽の良さに合ってないと感じたが、操作性もよく、飽きない作り。
アクセス多すぎてイライラ。ゲームを買う前にはこういう情報がないので雑誌に載せて。
よく考えたら凄い企画。一度ここに載っている人たちと話してみたい。
ソフトハウスの関係者も集めて討論会をやってほしい。
(電波新聞社までの交通費は自費)四国から遠くて行けない。
東京でもやってみたいが、1人で運営できないので手伝ってくれる有志募集。
1989年6月号
HPが1とはどういう状態か。「冒険」と隣り合わせの「死の恐怖」がなければ魅力半減。
「ファンタジーゾーン」のパーツ購入にも消費税がかかるというネタハガキ
1989年7月号
コマンド選択式は簡単すぎ。場面ごとの満足感が薄い。もう少し頭を使う作りに。
畑や田んぼがない。会話は同じ事の繰り返し。例外もあるがもっと人間くささは欲しい。
この芸術は社会に認められていない。せめてスポーツ並にメジャーになって欲しい。
芸術作品と言うからには主題性が必要。テーマを考えて作って欲しい。
エンターテイメントにテーマは必要ない。ゲームは芸術という一つの形態にとどまらない。
勧善懲悪ものが多すぎる。小説や映画は様々な手法でいろいろな物語を表現している。
グラフィックやサウンドに比べメッセージへの関心が低い。文章も小説に劣らぬものを。
クリアに労力を必要としすぎて、すんなり芸術を感じることは出来ない。まだまだ。
精神に訴えるものが芸術。商業主義の中のゲームはまだ芸術とは言えない。
グラフィックや音楽は既存の物まねに過ぎない。ゲームには「ゲーム性」がある。
1989年8月号
体感ゲームの移植はムナシイ。が、ユーザーのために最大限に考えられたものもある。
かわいいキャラクター、個性ある面、そして音楽。特にウッドマン面の曲がいい。
1989年9月号
音源の良い音楽=良い音楽なのだろうか。編曲者の個人的趣味の押しつけを感じる。
GMをマニア向けに戻してはいけない。ひとつの楽曲として十分な完成度であれば良し。
マッピング ニモ マケズ 謎解キ ニモ マケズ 経験値稼ギ ニモ マケズ …
戦いや争いばかりで平和が表現されない。ディズニー作品のようなゲームも欲しい。
グラフィックを強化することでゲーム性も上がっている。イースに似ているのはナン。
1989年7月5日放送の「クイズ・年の差なんて」に山下章が出演したのを見た報告ハガキ
1989年10月号
高い。プロテクトの分まで支払う感覚。ゲームソフト以外のコストダウンをはかって欲しい。
プロテクトは必要。今後安くなるとは思えない。値段分楽しめるゲームを見つけるしか。
レンタルがあるから高い説があったが、店が減っているのになにも変わらない。なぜ?
小さなソフトハウスは仕方がないが、大手の1万円以上の価格設定は頭にくる。
さすがの出来だが、タイトルがイースである必要がない。安直な続編に疑問。
ARPGの最高レベル。先の読めるストーリーが難点。タイトルはこのままで良いのでは。
謎が無い、山場が無い、単純、簡単で興ざめ。イースの名をつけた事は失敗だ。
1989年11月号
現実逃避や一種のストレス解消法。もうひとつが感動したいから。
ゲームのことをよく知りたいから、ゲームを芸術として社会に認知させたいから。
キャラクターを成長させながら謎を解きアクションで冒険をしたいから。
心に訴えてくる物があるから。人としての優しさを教えられた。
ゲームに理解を示さない人たちを説得するための理由探しなら無駄な事。所詮嗜好品。
12月号の答えに対する礼。/読ホンサークルがあってもいいのでは。
いよいよ読ホンサークル「Reformers」が発足します。
現在のRPGをAVGと呼び、AVGをRPGと呼ぶと、言葉の意味が良く合うのでは。
売らずに持ち続けて忘れた頃にやってみると新たな感動もある。
入手困難になったソフトをソフトベンダー尊に入れてもらえないだろうか。
昔のテープ版のソフトをディスクに5本くらいつめて発売して欲しい。特にスタークラフト。
1989年12月号
1990年1月号
『とんぼ』のメロディで。正義という名の盾かざし 生き物を殺しているヤツ …
本やレコードは税込みの価格なのに、ゲームはなぜ? 任天堂は税込みで好感。
1990年2月号
読み込みオンリーのCD-ROMはコピープロテクト戦争に終止符を打つのではないか。
ゲームの美しい、綺麗は、限りなく現実の絵に近いことと同じではない。
ユーザーが少ないから?技術的な問題?遅れてもいい、せめて移植はしてもらいたい。
すでにプレイした読者にゲームに対する感想を教えてもらいたい。トリトーンファイナル。
スクロールが遅い。動きが単調。他機種版からカットされている。画面切り替えが遅い。
いい思い出はない。カツンカツンとした動き。同人ソフトのほうがマシ。すぐ売った。
1990年3月号
専門用語など難しい言葉で語られても理解できない。わかりやすく書く努力をして。
「ゲームの性質」ということか?過去の意見ではそれぞれ独自の意味で使っている気が。
ゲーム性=難易度設定+プレイアビリティではないか。どれだけ遊べるかのバロメータ。
ゲームバランス、アイデア、自由度、操作性の4点がゲーム性の内容ではないか。
プレイヤーとゲームとの間にある「かけ引き」を指しているのではないか。
ゲームを総合的に見た場合の判断基準。アイデア+バランス=ゲーム性ではないか。
1・2面がつまらない。難度が高すぎ。3D面は手抜き。半分以上運では?これはひどい。
あれで高すぎる難度とは思わない。プレイヤーの腕も上がっている。
クソゲー。マニアのために作られたゲーム。基本システムの問題点が未解決のまま。
ゲームは客層にあわせて作られていて、対象外の人が意見することはできない。
うなずける意見だが、しかし、この場では議論を交わすことに意義がある。
トータル的に難度は高い。スタッフでクリアできたのは2名で1周のみ。
あれだけ売れた大作を買った人はどう思っているか。
さすが光栄。『信長』をはるかに超えた作品。プレイもしやすい。MSX2版は表示が遅い。
2・3日は面白かったが飽きた。システムは『水滸伝』のほうがよかった。
1990年4月号
続編もの、高難度、セクハラ…。ごく普通の人ができるゲームが必要。独創的なゲームも。
かつてモンスターは恐怖の対象だったが、最近のRPGでは主人公のエサ化している。
ドラクエIV+がんペナ+ソフト1本で18,800円、予約受付先着3名まで。買う人の身になって。
定価5000円のソフトを売ったが箱説明書なしラクガキありで最終的に50円になった。
隠れた名作と言われているらしいが、1作目から買うのは冒険のような気がするので…
順番で遊べばストーリーが楽しみになるシリーズ。X68K版かTOWNS版をおすすめ。
3・4に比べると不満があるかもしれない。同じ事を何度も尋ね直すのが難点。
1990年5月号
戦闘の恐怖より謎解きに重点を置いたゲームには3Dマップ表示はうっとおしいだけ。
狭い視野でいかに生き残るかが醍醐味。一般ウケしないのは背景変化に乏しいから。
延期が続くとそのゲームに対する情熱が消える。ハッキリしないなら発表しない方が。
日本語と英語の切り替え表示に魅力がある。使える表現も多く教材にしてもいい。
内容すらよくわからないが、買って損のないゲームか教えて欲しい。
経験値を無くした作品。後半厳しい。『アークスII』をやりたい人はやったほうがいい。
アニメーションに一見の価値あり。3D迷路タイプなので雑誌等の情報がないと厳しい。
1990年6月号
ひどい。敵が早すぎ・固すぎ。キャラ変えて新作にしてるだけ。『グラIII』の方が親切。
確立された形態は変える必要ない。反射神経と連射だけのシンプルさがよい。
目的が強くなる事自体であれば良い。設定された目標が他にある場合は問題。
内輪で騒いでるだけの番組だった。パジトノフの非暴力だからヒット発言は収穫だった。
美少女ものでありながらベスト10位に入るこのゲームのおもしろさは一体どこにあるか。
ゲーム性、ストーリー性を前面に、美少女はおまけにしたところが良い。シンプルさも。
Hソフトとして楽しむなら問題ないが、普通のソフトとしてみるといまいち。
1990年7月号
選択方式では秀作もあるが、多くのAVGでは冒険している感覚がない。
選択式だが場面ごとにコマンドが隠されていて入力モードに変わるのはどうか?
答えをズバリ書くのはやめてほしい。ゲームが本の通りか確かめているだけになる。
今の雑誌や攻略本はテストの模範解答。最新情報を見るならベーマガだけで十分。
女の子にしかわからない意見を出してほしい。体感ゲームは恥ずかしい。
ゲーセンに出入りする女の子はなにかしらの形で不良だと思われる。偏見だが本音だ。
アーケード・ゲームには暴力的なゲームばかり。それを楽しむのは女の子らしくない。
校則を破ってゲーム・センターへ行く輩は男女を問わずイヤ。他にも娯楽はあるのに。
今ゲーセンは女の子一人で行く場所ではない。が、交流の場へと変わって欲しい。
最近のゲーセンは変わった。女の子に対するある種の思い込みがあるのでは。
女性客お断りの張り紙をしたら社会的問題にもなる。なにを基準に不良だと思うのか。
今はUFOキャッチャーの登場で不良のたまり場ではない。追い出してはいけない。
男性が不良のたまり場だと決めつけている。その牙城を崩すのは女性のゲーマーのみ。
ゲーム・センターにはろくな男がいない。女がどうだという前に男はどうなのかと問いたい。
好きなことをやっているのだから、どんなレッテルを貼られてもかまわない。
ゲームをしに行くだけで不良なら、ゲーセンに出入りする男は不良ではないのか。
ゲーム・センターは男だけのモノではない。完全に男女差別。女を理想化しすぎ。
マンガ等で書かれるとき「典型的な不良のたまり場」として書かれてしまうのはなぜか。
みんなで楽しくやろう。ゲームしか興味がないなら他のこともやったほうがいいが。
今ゲーム・センターは映画館や遊園地につぐデートコースになりつつある。
閉鎖的で特有の雰囲気は改善すべき。女性読者の皆さん一緒に『R-360』で遊びましょう。
実際にゲーセンにいる様々な女性を観察した。不良は自分でゲームをやっていない。
見た目にはわからない不良やヤクザもいる。トラブルに巻き込まれることも少なくない。
女性がいることで悪いイメージを一新できる。新しい客層でインカムも増える。
脱衣麻雀が店の半分を占める環境。男子トイレに女子が入ってくるようなもの。
麻雀ばかりがあるわけではない。イメージが悪いほうに固定しないで。
イージー設定のゲームが設置されていた。間口が広い真のゲームセンターだ。
予想外のヒットだったらしいが、操作がしにくいとも……。
対戦モードは燃える。バグが多いのは気になるが、完成度は高いので買って損無し。
半年経ってもまだ遊べる。ステージが短いのが物足りない。セガの意気込みは感じる。
1990年8月号
遊び方が同じゲームに感動はない。新しい遊び方をわかりやすく工夫する努力を。
今のゲームのエンディングは後味が悪かったり、むりやりハッピーエンドにしている。
女性オペレータの声が雰囲気を盛り上げている。文字と肉声ではえらい違い。
MSX2版を持っているが、ファミコン版の出来が知りたい。頑張っているようにも見えるが。
とても良くできている。削られた要素もあるが、シナリオ等はほぼ一緒。操作性もよい。
『I』に比べると非常に進歩している。メッセージのカナ表示が読みづらい。
1990年9月号
1990年10月号
高性能なゲーム機SFCの登場で、アーケードやパソコンの立場が危うい。
作り手とユーザーの妥協的自己満足に終わるパソコン・ソフト業界には刺激になる。
某社のバグ入りソフトを送ったら帰ってこなかった。一方、光栄のサポートは完璧。
「題名のない音楽会」でFC音楽だけを聞いてGMを批判していた。理解が足りない。
黛氏はポピュラー音楽全般に批判的。音源に注意を払うタイプで感性に合わなかった?
ゲームが童話やおとぎ話に劣ることはない。昔の子供も今の子供も変わりがない。
画面が小さくて色が出ないのに、なぜSTGを出す。テトリスなどふさわしいものを望む。
どうしてこのゲームが売れているのか。
テーブルトーク版は初期のルールでシステムに納得のいかない点がある。
X1版はディスクの枚数が多すぎ。ディスク・アクセスも多い。バグも多すぎ。
1990年11月号
死ぬと装備が無くなって復帰が難しい。スコアと引き替えに装備が復帰するのはどうか。
弾を避けて敵を倒す事が魅力でEDが目的ではない。復帰の解決には難度調整が一番。
下手な人は得点も低いのでこの救済システムは生かされない。上手い人だけ得をする。
時間内であれば何度ゲーム・オーバーになってもよいタイマー制はどうか。
はじめの1周目が既に難しいのに2周目は必要か。2周目にもっと意味を持たせてほしい。
2周目よりEDやストーリーを望むユーザーによってSTGの本質が腐ってしまった。
優れた性能だが英文のままなど不備がある。ソフト数が少なすぎて知名度も今ひとつ。
『ドーム』はなにをすればいいかわからないと書かれていた。シャティはどうなのか。
マルチエンディングで面白い。小説やAVG好きにはたまらないはず。
オススメ。でも88のSR、FR、MRではバグるウワサが。
1990年12月号
MSX2+では性能を生かしたソフトが少なかった。turboRは16ビットの性能を発揮して。
「白黒なの?つまんないね」はGBユーザーやノートパソコンユーザーを馬鹿にしている。
とことんリアルに近づく事がGMの目的でいいのか。シンセにはシンセらしい音がある。
吹奏楽部にいた時GMを演奏しようと言えなかった。実際に演奏した人の感想を聞きたい。
「オホーツクに消ゆ」を演奏した。新鮮。ドラクエ以外は良い楽譜がなく、演奏しにくい。
「ギャラクシアン3」等を演奏した。誰もGMと気づかなかった。GMは短いがノリが良い。
ゲームを役に立たないものと考える大人がいる。有益か無益かは個人の自由では。
人為的に隠す意図はなにか。※マル秘情報のコーナーで何度も取り上げてくれるから
小説や映画のように現代社会と結びついた考えさせられる物語があってもいい。
小説の主人公の葛藤は所詮他人事。ゲームは様々な感動の伝え方が出来る。
なかなか値段が下がらないので買う決心がつかない。良きアドバイスを。
1991年1月号
MSXturboRは低価格パソコンとして存在感なし。メーカーもやる気なし。試作機なのか?
PCEスーパーグラフィックスを安値で買ったがこの値段は正しい。ソフトが全然出ない。
独立しアーケードから家庭用に移行している。そして元いた会社のゲームが酷い状態に。
2年ほど低迷の後、各社一斉にヒットゲームを出すパターンの繰り返し。大丈夫。
HDDにインストールすると快適。すべてのゲームをHDD対応にして欲しい。
ゲームとはクールなもの。人間味のない人間になる。通信も真のふれあいではない。
様々なゲームの中から暴力ゲームを選ぶのはあなた自身。道具をどう使うかは人の心。
ふれあいは絵本の中にあるのではなく「周囲」に絵本を踏み台としてあるもの。ゲームも。
ゲームは趣味であり、趣味とは本来個人的なもの。人は趣味で人格が決まることはない。
ほとんどのAVGが口パクやまばたきだけ。スナッチャーは人間くさい表情があった。
1991年2月号
ゲーム内広告を出して、その広告料のぶんだけ定価を下げて欲しい。
テトリスをやっていたらギャラリーが増え始め、カンスト達成時には拍手が。
どこでも遊べるという言葉につられて駄作を買っていることに気が付いて欲しい。
本来の主役であるゲーム性ではなく、メーカー名等付加価値で購入を決めていないか。
『IV』を作るなら先にSFC版を発売し、意見を収集したあとアーケード版を出して欲しい。
ザコが1回だけ登場で使い捨てされては応用が利かず、倒し方を沢山覚えるはめに。
1991年3月号
近視の子供が増えている。ゲームばかりやっていては人格形成に問題がある。
結局は人物と歴史イベントを変えただけでシステムが変わっていない。
もっともだが、これ以上求めるものもない。様々な事をふまえてこの形なのだろう。
システム自体に飽きたことによる不満では。既に完成形だが、光栄は挑戦をしてほしい。
シリーズ毎に良いところが消えている。様々なニーズあわせて複数のモードを。
このままでは生き残れない。高難度、短さ、値段、難解な操作方法、低いゲーム性。
もう終わっている。性能が上がってもアイデアがない。一般の人が楽しめるものを。
パワーアップが良いことだと思う常識に縛られず、デメリットをもった装備があってもいい。
STGの合格基準。開始後すぐ死なない事。他人のプレイを見て自分もやりたくなるか。
どこかで見たモノばかり。それを避けるとややこしいだけ。STGは使い古された。
ゲームのリリースが遅すぎて時期はずれ。HuカードとCDの両方で出すのも迷うだけ。
芸術と俗悪を見きわめる必要がある。芸術は外からの力を受けて成長し得るもの。
セリフだけでは感情表現が乏しい。その時の人物の様子を描写することはできないのか。
過剰な描写で想像力の入り込む隙がなくなることも。ゲーム内の描写だけに頼らずに。
複数の登場人物・主人公を別々に操ることが出来るのがゲーム。「章わけ」もよい。
既存のファンタジーにありがちな表現で陳腐すぎる。他のメディアを追うのはやめて。
1991年4月号
今のパソコンの発展から見て過去のものより数倍良いものができると思うが。
今見ると稚拙な部分もあるが、今は昔のような楽しみがない。自分が成長したから?
ヒット作を模倣した作品はいい加減。出せば売れると考える会社はいずれ淘汰される。
ゲーム誌が各々選ぶ○○大賞は無意味。公的な賞を与えてゲームの地位向上を。
出版社の利害や供給媒体の格差、一部の盲目的支持層…取り除かないと難しい。
キャラの前後移動で当たり判定が解りづらくなりゲームもつまらなくなった。2Dがいい。
タイマンか大勢かではゲーム性が大きく違う。視点よって出来ない技があるのは問題。
レバーでキャラ移動、ボタンで方向転換、足のペダルでジャンプやキックを。
普通に使っていても壊れるフロッピーがある。もっと質の良いものを使って欲しい。
1991年5月号
グラIIIは全体的に締まりがない。雷電は派手で忙しいが単純で魅力が伝わりやすい。
ごく一部の超有名な人以外知らない。スタッフロール以外にも広告などで名前を出して。
ソフトの乱発で売れるソフトの見極めが難しい。入荷を絞ると売れるソフトの入荷も減る。
1991年6月号
保育園の創作ダンスで『マーベルランド』の曲が使われた。
プロの作るGMは普通の音楽すぎる。「音楽的基礎のない貧弱な音楽」が好きだった。
以前は100円で10枚以上だったのに、いまや3~5枚程度。プロでもないのに高すぎる。
物価がどんどん上がっているのに100円据え置き。消費税上乗せもない。実は安い。
横文字の単語2・3個の組み合わせでオリジナリティーがない。他国でかち合いも。
主力武器…バルカン・レーザー・波動弾。補助武器…ボンバー・ミサイル・バリア…
コピー禁止団体にいい加減な会社が入っている。ソフトの質と値段を守る団体も必要。
1991年7月号
コンテスト用に作成したソフトが無断でパソケットに売られていた。ネットにもアップされた。
ポピュラスとはまた違った面白さ。自由奔放なゲームもよい。新しい可能性を感じる。
『ジーザス』が好きだから『II』は発売して欲しくない。続編には駄作が多く必要性もない。
恐らく発売されるセブンは宇宙人型で『ストII』以上の格闘ゲームになる予感。
またゲーム影響論。ゲームで思想を埋め込まれることなどない。報道姿勢を問いたい。
1991年9月号
順番を守らない、台を叩く、台の上に100円玉を積んで独り占めしている。
最近は一部の続編以外はアニメキャラもの。あの頃のパンチの効いたゲームはないか。
何問か間違っただけで即ゲームオーバーは厳しすぎ。多人数で一定時間楽しみたい。
シリーズものばかり売れてしまう。やりもしないでソフトを批判するのは筋違いでは。
1991年10月号
前号P228。正規ユーザーが得をする仕組みを。このままではゲーム機に駆逐される。
下手な人も楽しんでいるのだからやめろと言うな。ゲームセンターはマニアの溜まり場か。
プレイしないと基盤の設定がわからないのは不親切。デモ画面に表示して。
雑誌毎のヒットチャートの違い、盲目的支持層の組織票…ゲーム独自の評価法はないか。
「ヒット作=名作」にならないのは映画やTV・CDも同じ。正当な評価法など存在しない。
ランキングで選ばれた名作もある。どれも正当。が、他人の評価を卑下してはいけない。
用意された感動なのだろうけど、素直に感動。音楽や演出も良かった。
1991年11月号
ヘッドセットが欧米人サイズであわない。ゲームもただのデモのようだ。作り込み不足。
体感ゲームの将来を心配していたが、今後は期待できる。ゲームの未来を感じる。
1991年12月号
ゲームのバランスが崩れてしまう。コンティニューするときは何らかのペナルティが必要。
ゲーム批判が限度を超えて激しすぎ。急速な発展を遂げたゲーム界を賞賛すべき。
名古屋は立ち上がってノッていたのに、大阪では静かで立ち上がると客席から怒られた。
1992年1月号
もうけ第一主義の内容が問題。雑誌の行き過ぎた攻略とメーカーヨイショも問題。
1992年2月号
校則でゲームセンターに行けないので移植版に期待しているがダルシム削除の噂が。
わいせつソフト摘発事件で新聞にパソコン・ユーザーを誤解するような記事が書かれた。
美少女ソフトとアダルト・ソフトは別物。「パソ倫」のような機関でチェックしてはどうか。
性を売り物にしている以上良いとは言えないが、娯楽に過ぎない。モラルの問題だ。
他のメディアにもアダルト物はある。狙われたのはパソコンソフト市場が未成熟だからか。
当然の成り行き。パソコンソフトが一般化するための障害だ。問題はこれからどうするか。
美少女ソフトもアダルト・ソフトも結局同じだ。グラフィック技術は他のゲームで生かして。
はっきり言って激怒している。言葉にならない。美少女ソフトのどこがいけないのか。
全然売れていないが、やってみると面白すぎる。常識の通用しない世界で自由に動ける。
女性=ゲーム下手と決めつけていないか。ゲームを楽しむ気持ちは男女変わりがない。
1992年3月号
曲の質はとても良いのに、タイトルが味気ない。もっとイメージのふくらむタイトルにして。
景品の人形が取れないほど隙間無く埋まっていた。利益を上げる為とはいえ配慮を。
1992年4月号
激突死反対。必然性があるか考えずに安易に模倣したマイナーチェンジはやめてほしい。
オーソドックスな要素はゲーム性を高める。マンネリ化は新機軸が登場する土壌になる。
発売から時間が経ったゲームの隠しコマンドはソフトハウス自身が公開してほしい。
アニメのビジュアル・シーンがゲームの演出?ゲームにしかできないものを目指して。
その手のソフトのファンがいる以上否定できないし、何でも出来る可能性を下げることに。
ハードの進歩で外見は豪華になっていったが、中身を濃くしようと努力していないのでは。
1992年5月号
工場側のスケジュールは解るが、バグ入り製品の発売を強行して売れるだろうか。
硬貨を置いていく人のほとんどがマナーを守れない。禁止しているゲーセンもある。
発展途上中。ストーリーの印象が薄いのはこのシステムの欠点か。どこか無理がある。
RPGの発展の形として『F.F.IV』路線に限界を感じる。『ロマ・サガ』路線に期待している。
1992年6月号
ゲーム初心者に対してどう接しているか。イヤミを言って雰囲気を壊す人がいる。
アメリカ人の3/4が反対している。マイナスイメージだ。売り上げに影響が出るのでは。
アラを探せばいろいろある。が、グラフィックやキャラクター、音楽など素晴らしかった。
1992年7月号
無関係の選択肢が出ないのが良い。短いストーリーも正解。効果音も良い。
PC-88の力を十分に引き出せている。ファルコムは真に力をもったメーカーだ。
洗練されたシステムだ。目的を実行に移すための手順が面白い。ウインドウも良い。
5人対戦のドクロモードが熱い。プレイヤーの性格がそのまま行動に出て面白い。
コンピュータが理不尽な強さ。ストII版スーパーゼビウス。対戦に目を向けさせる為か?
1992年9月号
1ラウンド取ったところで相手が席を離れてしまった。逃げずに正々堂々と戦ってほしい。
1万円越えは高い。ジョイスティック以外の装置を分離して取り替えられるようにして。
多人数を楽しませる為には、同時プレイだけでなく、ギャラリーを楽しませる工夫を。
粗造乱造が目に付く。アイデアだけで発売せず、完成度を上げるために時間をかけて。
『DQIII』発売日の暴力事件を思い起こす。ゲーム批判の日となるかも知れない。
パッケージが無駄に豪華すぎ。他業種の企業のように資源について考える責任がある。
内容以外で面白さを決めているユーザー。ヒットや流行を追うだけのメーカー。絶望した。
一部の好ましくない企業は存在するが、ユーザーからの意見で試行錯誤しているはず。
ゲームデザイナーが希望を捨てたら誰が面白いゲームを作るのか?諦めないで。
ゲームが社会的に認知された途端、昔のゲームにあった楽しさとは違うものになった。
すべてが斬新に見えた時代は終わった。今後は見た目より完成度の高さで競争を。
初心者は斬新なものはわかるが、完成度の高い後発のゲームのよさが理解できない。
ハメ技はやめてほしい。返すのは至難の業。パターン化しないバトルが魅力のはず。
雑誌に載ったハメ技をそのまま使う相手に憤りを感じる。適正な対戦相手とプレイしたい。
ハメ技に持ち込まれるプレイヤーが悪いというのは強者の理論で素人には無理な話。
ルールはこのゲーム自体であり、ゲーム内では何をしても許される。雑誌記事は問題。
ハメ技をしてこないと解るだけで、相手の手の内を読む駆け引きが一つ無くなっている。
リスクが低いのにダメージが大きい。プレイヤーレベルでフェアではないと認識するべき。
真の強さはマニュアルや攻略本を越えたところにある。その域でない人はやめるしか。
ハメ技を紹介した以上は対応策を掲載する義務がある。対戦の基礎知識の紹介も。
反対派は自分ができないから反対か。『ストII』生まれの「ハメ技」はストIIの一部だ。
ゲームセンターには変なプライドを持っている人も多い。それらが嫌なら行かないほうが。
『ストII』をやった事ないが、麻雀のように対戦メンバーでローカルルールを決めては。
「おもしろい」はいくらでもあるが、「感動」がない。泣けたゲームは原作ものだった。
キャラ同士のコミュニケーションから感動が生み出される。人間的な感情表現が必要。
一本道ゲームは「できすぎた不条理展開」ではなく「思い通りにならない自然な展開」。
電源を切ってもネームが残る様にし、文字数や種類も増やして日付もあれば完璧。
1992年10月号
説明書の訂正が80箇所以上あった。訂正表を見ながらチェックするのは苦痛。
ソフトの楽しさを伝えるためではなく、販売戦略として情報規制するメーカーは考え直して。
初心者から熟練者まで見る物だから、紹介記事はあくまで詳しいに限る。嫌なら見ない。
どこにも売っていなかった。※低価格で採算が合わないので再販されないとの事
昔のゲームをやりたい人はどうすればいいのか。コマンド入力式の最新作もやりたい。
ゲームで負けたからと言ってなぜ怒るのか。特に筐体を殴るのはマナーに反すること。
1992年11月号
格闘等殺伐とした世界を描くゲームのリアルさは問題になる。ある程度デフォルメが必要。
一般には「通なゲーム」で終わってしまった。外見が地味では見向きもされない。
1992年12月号
見ず知らずの人と対戦する事に不安を感じていたが、取り越し苦労。雰囲気も良かった。
復帰が楽でハマらないSTGが良いSTGと言えるのか。ハマる=苦労する=燃える。
絶対テストプレイをしてない。無駄な努力をしないとクリアできない。努力すらさせない。
スペック的に難しいと聞いたが同人ソフトで多く出ている。市販ソフトも発売して欲しい。
任天堂社長講演を読んで。容量が扱いきれないなら3.5インチのCD-ROMで良いのでは。
コスト的に変わりないし、容量が多くて困ることはないのでは。音と映像だけでも良い。
ダルシムが青色の肌になる。気持ち悪い。そんなインド人はいない。ブランカは問題外。
「楽しい」なんてものじゃなく「嬉しい」。2頭身キャラに古き良き時代を思い出す。
プレイヤーの山・山……。とにかく難しい。相手に向かってバリバリ破壊するのが楽しい。
ドラクエのF・F化を感じる。ストーリー重視で本職のF・Fを越えられると思えない。
1993年1月号
ハメ技ばかり語られている。『ストII』が本来持っているゲーム性とは一体何か。
「体内時計」理論悪魔城伝説/ストリートファイターII(1993年3月号11本目)
アクションゲームは一瞬の間を計りながら遊ぶゲームだ。ストIIはそれのフル活動。
スコアは不要。ただ先の面が見たくてゲームをやっているから。デメリットの方が多い。
参入白紙化結構。実力あるメーカーが残るならそれでいい。MDの開発はセンスがいる。
ハードの進化にソフトが追いつかない。ゲーム内容がグラフィックの派手さにマッチしない。
あらかじめ全てのデータを圧縮して発売し、ユーザーの手で解凍させればよいのでは。
圧縮はビジネスソフトで既にある。それよりCD-ROMの普及で解決されるのでは。
雑誌のレビューで「マウス対応で操作性バッチシ」と書かれるが本当か?
十字キーと比較。マウス使用を「聞こえがよい」からではなく適切かどうかで決めて。
『F.F.IV』は人形劇、『ドラクエV』は体験型。ドラクエはハードに頼らず感動を生み出す。
アーケード版と比べてスコア表示がない分、爽快感がない。見栄えよりゲーム性を。
世の中の動きにあわせたゲームセンター運営とソフト供給を。ディスコの二の舞になる。
1993年2月号
違法改造版。メチャクチャ。『ストIIダッシュ』のパロディみたいなものか。結構楽しいが。
ボタン側も十字キーになっているパッドがあれば『クレイジークライマー』ができるのでは。
任天堂社長の講演でディスク・システムについて触れていなかった。見捨てたのか。
企業や学校でパソコンを一括購入したらマニュアルまで大量に付いてくるとか。無駄では。
アニメそのままの模倣は間違い。アニメからビジュアル・シーンをうまく見せる術を盗め。
一度発売を宣言した以上は発売する義務があるはず。流通ルートを変える方法もある。
98よりウケる要素が多いのに苦戦。メーカー・ユーザー共に自己主張が足りないのでは。
X68Kのゲームは一面に過ぎない。自己主張でセガを見習うことはない。能動的な活動を。
移植ばかりで機種にあったものがない。酷いメーカーにユーザーが立ち向かうべき。
とっつきにくそうに見えるが競馬ファンでなくとも病みつきになる。一生遊べるゲーム。
1993年3月号
負けた腹いせに暴行を加えた事件。格闘ゲームが規制・撤廃される可能性も。
「ゲームボーイ」の名称や女性が男性に救われる内容が性差別だという英国の記事。
考えすぎ。ゲームは結局主人公になって楽しむものだから性別は関係ない。
誰も性差別のことなんて考えてない。女性が男性に救出される物語は昔からある。
ゲーム中にてんかんの発作を起こし死亡した件。報道次第で映像分野に影響が大きい。
客を軽視する姿勢が目に付く。表面的には立派になったが中身が昔と変わっていない。
普段ゲームをしない人にはついていけないスピード。シリーズの途中から入る余地がない。
パッケージが大きすぎて置き場所に困る。もっと小さく薄くできるのでは。
昔は全くといっていいほど続編ものがない。今のメーカーはもっと冒険して欲しい。
キャラのちょっとした動きで表情や心理まで想像させる。確実に伝わるかは微妙。
HDD対応ゲームはインストールが前提になっていないか。フロッピーでも遊べるように。
アクセス音や待ち時間は不愉快だが、フロッピーで遊べたことに感謝すべきでは。
日本のゲームは子供だましが多い。アニメファンを狙うより大人がじっくり遊べるものを。
メーカーは安易にアニメシーンをいれた方が売れると思っていないか。
エンディングがどんどん長くなっている。長すぎて義務で見せられているよう。苦痛だ。
RPGの楽しさは世界観や雰囲気にある。EDは重要ではない、目的にしてはいけない。
ゲーム中の苦労と混じって感動するようなものがよい。ロックマン2はよかった。
話が複雑だとEDが長くなる。ボスをラストイベントにしない物語の工夫を。
余韻を楽しむためにある。飽きない程度の長さと演出で。スタッフロールも気にならない。
エンディングに期待してプレイしている。スタッフロールも必要。F.F.Vも史上最高の出来。
ニックネームのような本名ではない名前が出るなら、スタッフロールはない方がいい。
最後を締めくくる演出だから素晴らしいもので。スタッフロールは倍速モードが欲しい。
シナリオが抜群、グラフィックがFCのわりに綺麗で動く、音楽もあっている。遊びもある。
1993年4月号
早く発売するために微調整が足りず、「速さ」と新技でバランスの悪さを誤魔化している。
パソコンをゲーム機として使うのは残念。メーカーも機能のアピールを。
あっという間に市場から消えてしまった。今後はユーザーが主役で盛り上げよう。
『ストII』に比べて戦略性が高い。相手が気絶した時の最善のパターンはない。
懐かしいと言って買う層には良いが、初見の人には古くさいゲームにしか見えない。
入手できなければ面白いかそうでないかの判断も出来ない。再販はメーカーの責任。
アレンジをして欲しくない場合もある。懐古主義などという言葉で片づけて欲しくない。
最近のRPGは他人の物語を見ているようだ。感情移入できないゲームに価値はない。
最近のRPGはパラメータが少なく誰でも同じキャラに。自分のキャラへ感情移入が難しい。
CRPGで感情移入できないことはない。感動できたゲームもあったはず。
プレイヤーである今の自分が体験できない冒険に挑むという意識を持ってやるべき。
小説とゲームでは物語に絡み合う要素が違う。プロットだけで楽しむものではない。
受動型と能動型の2つがあり好みの問題。押しつけは良くない。能動型は最近少ない。
ゲームが子供達に与える影響はあるだろうか。偏見に対して反論できなければならない。
ゲームはメンタルな部分に影響がある。形に残らないゲームは無駄なものに見える。
ストーリー性の高いゲームは制作者が、自由度の高いゲームはプレイヤーが物語を作る。
1993年5月号
パスワードが意味のある文章で良い。アニメさながらの演出・迫力。百聞は一見にしかず。
親に買って貰ってゲームだけ…。苦労して自分のお金で買うと愛着が沸き知識も身に付く。
たくさんの人々とよい雰囲気の中でこそ、「ゲーム」を心から楽しめるのでは。
ソーサリアンのようにシステムと問題を分離して定期的に販売して欲しい。自分で問題も。
小説や音楽と比べてゲームは素人が作品を作るのが困難。多くの人に作る機会を。
ジャンル固定、システム流用、版権モノの既視感。もっと独創的に。このままでは消える。
パソコンを実用目的で購入する大人が増えて青少年が減った。層に合わせたゲームを。
コンシューマやアーケード・ゲームに比べれば多彩なゲームが出ている気が。18禁も。
危ないのはパソコンだけに限らない。今もう一度独創性のあるゲームを考えて欲しい。
マイナーチェンジの繰り返しは映画のアクション映画のワンパターンに似ている。
斬新さがなくなっていくのは万物で共通の現象。ユーザーの発想をメーカーに伝えては。
違法改造業者、仕入れる店、コインを投入するプレイヤー。責任の一端がある。
1993年6月号
中学校のコンピュータ教育開始。しかし周りはゲーム雑誌、ゲームのデモばかり。
緊張させるためには、逃げられない空間と誰も助けが来ないという「閉鎖性」が重要。
少年時代に出会っていなかったら楽しめただろうか。あの頃の気持ちは戻るだろうか。
効果音がBGMに取って代わる程素晴らしい。CDからのBGMは音の羅列に過ぎない。
バッテリーバックアップがあってもパスワード機能はほしい。例え文字数が多くても。
セーブしてよろしいですか(Y/N)の確認は必要。セーブのたびにびくびくする。
制作者より企業名が前面では利益第一主義の印象。作品として見てもらえないのでは。
常連が台の占領。態度も悪い。店の外見はよいのに。ゲーセンの立場は悪くなる一方。
攻撃方法が単に種類が多いわけではなく、効果が違う。毎回違う戦い方が出来る。
シナリオを達成すると経験点を貰うシステム。武器の名前がマニア心をくすぐる。
玩具店からディスクライターが消えてしまった。名作を安価で買える環境をなくさないで。
1993年7月号
CD-ROM以降、音質の向上が大きくなった一方で、“ただの音楽”になっていないか。
女性キャラは露出度が高すぎ。「女性主人公=色モノ」では女性ゲーム人口は増えない。
女性を意識するとかえって女性を遠ざける。低難度には女性が頑張るしかない。
女性の視点がまだまだ。難度は男女問わず初心者に向けたものがあって欲しい。
難しい謎はなく難度も低い。しかしエンディングが素晴らしい。10分でアッと言わせる展開。
今一度誰にでも楽に使えるパソコンの良さを考えて欲しい。
今の最先端もいずれ地位を奪われる。かつて全盛期があっただけで良い。
ゲーム機として見ればソフト数で優劣をつけるが、ほかの人は違うかも。それがパソコン。
価値を決めるのは性能だけではない。MSXはいかようにも使える。終わってない。
市販ソフトが無くても自分でプログラミングで楽しめる。これほど楽しめるハードはない。
MSXを思う「熱い」ユーザーに感動した。MSXユーザーになれたらと思う。
本当に盛者必衰の意味を理解しているか。個人で楽しむ分にはMSXが不滅は同意。
グラフィックやサウンドは、なんでも綺麗で派手でかっこいいものが合うわけではない。
活気を感じない。同じゲームばかり。探せば良いモノのあるが、昔の良いゲームと違う。
飛び抜けて良いゲームがないと感じるのはハズレが減り全体の質が向上したからでは。
続編がSFCでなくGBだったのは正しい。白黒の画面から暗闇の不気味さが伝わってくる。
TVCMで堂々と最後のボスや隠し技を公開している。驚きがなくなってしまう。
大容量で完全移植ができたはず。これではMEGACDは普及しない。開発力の問題?
万人が楽々プレイできると思っているのか。他のゲームをプレイした方がマシに思える。
1993年8月号
複雑なルール・操作のゲームは、ゲーム内で学習できるデモやステージを用意すべき。
テーマが「死」でも予想できる死では感動しない。予想に反する展開は楽しい。
プレイしない期間が長くあると再開時になにをすべきか忘れてしまう。振り返る機能を。
ストレス値は低くないが、最後までやると報われる。どろどろした雰囲気が凄い。
ゲームは難しいが慣れれば楽しい。演出とグラフィックが良い。メガドラの将来性を感じる。
画面全体のアニメーション、そして「しゃべる」ことも可能になったが、そこまで必要か。
格闘ゲームは現代のコロシアム。キャラ=奴隷を使って闘争本能を満たす残酷なもの。
キャラが奴隷だとは普通そこまで考えない。ゲームに対して屈折した考えを持つほうが…。
何を目的でゲームをやるかでハメ技に対する肯定・否定が変わる。
1クレジットで一試合対戦のころは、対戦相手と友達になれた。乱入タイプは非人間的。
格闘ゲームはスポーツの究極形態。心理戦を楽しむための技術を短時間で習得できる。
残酷とはなにか。絶対悪か?必要悪か? 人間のエゴが見えたからといって何なのか。
人間の思考の排他性、効率優先の行動、それらを正当化して疑問を感じないこと…。
戦争の映像は人が血を流して死ぬ実感を得られず、身近なゲームに置き換えてしまう。
1993年9月号
イメージ・キャラクターに馴染めないとゲームの邪魔になる。ひかえめであるべき。
家庭用ではヒット作があるのにアーケードはメーカーにもプレイヤーにも見放されている。
買って損なし。キーボードでの操作は少しやりにくい。ディスクアクセスがうっとおしい。
無理にゲームという枠に当てはめることはないし、悪いことでもない。新しい種類のソフト。
物語はみな同じだが、その進め方は人それぞれ。全ての人が同じ画面を観るのとは違う。
書いてる事が難しすぎる。でもゲームをやって、出会えて良かった。素直に嬉しい。
1993年10月号
コピーツールが出回り、実際にコピーされている。コピーの申し出はきっぱり断る勇気を。
一個人の物質的な富に対する執着で制作会社の時間と労力を踏みにじる行為は愚弄だ。
ボクは90%コピーソフト。理由は定価が高い、質が低い。コピーは不快どころか常識。
質が低いと思うなら放置する。プレイするとプレイするだけの価値があると認める事に。
高級レストランに入って全部食べてから「不味かったからお金は払わない」と言うのか。
ゲームは完全なコピーができる。そのコピーのコピーで、損害は大きくなる。
ゲームをしたいだけの人は創作の苦しみを知らない。コピーをしないのが良心だ。
違法コピーをしている人間にソフトハウスの怠慢を指摘する権利はない。
コピーユーザーはゲームをやりこむ事はあるのか。軽視していて質が低いと言えるか。
日本は平気でソフトウエア侵害をする悪癖を持った国と思われている。教育現場も温床。
理系…制作者との駆け引きゲーム。文系…制作者の意図に沿ったゲーム。文系に偏り。
タバコが苦手な人は迷惑。学生の出入りも多く、パチンコ店と同じ感覚で吸わないで。
たばこを吸う人の立場からすれば、灰皿があるのに吸うなと言われると苦痛だ。
ゲームセンターの筐体はGMを聞くことに向かない。ヘッドホン端子を標準装備して。
特定メーカーのゲームばかりCD化される。アンケートを取って埋もれたGMのCD化を。
1993年11月号
コインを入れる前にボタンが効かなくなっていないか確認する方法はないだろうか。
通常使用なら壊れるものではない。マナーの悪い客によって壊されている。
自由度が低くすぐ飽きると言われるが、最近のSTGにくらべてテクニックで勝負できる。
ゲームの世界に引きずり込まれる。心が大きく揺れ動いた。魅力的なキャラが生きている。
『ストII』を専門に遊ぶ友達にやらせたら面白いという感想。これがオリジナルゲームの力。
絵や音声が少ないことで想像力をかき立てられ感動した。ラストシーンの出来もよい。
全てを凌駕するストーリー。話の筋が読めてしまうお気楽極楽ストーリーではない。
存在を知らなくてもゲーム雑誌に載っているのを見て知ってしまう。子供が見たらどう思う。
なぜまた『ストII』なのか。カプコンには格闘以外の新しいスタイルを提言して欲しかった。
1993年12月号
昔のゲームは最終的に「ゲーム」と総括していた。今はジャンル固定。新鮮さはない。
グラフィックや演出的に優れていても内容に新味のないゲームは命が短い。
とにかく常連のマナーが悪すぎ。ゲームセンターの社会的地位を危うくしている。
手に障害がありマウスをうまく扱えない。障害者のために要マウスソフトを作らないで。
順番待ちの並んでいる人がいるのに、置きクレジットで割り込む人がいるというハガキ。