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CHALLENGE HIGH SCORE!
ちゃれんじはいすこあ
CHALLENGE HIGH SCORE!
ちゃれんじはいすこあ!
連載
期間
84年1月号~99年3月号
連載
回数
全183回/休載なし
担当
うる星あんず
(84.1~86?)/
見城こうじ
(86?~90.5)/宮塚秀己(89.11~92.4)/やんま(90.3~91.10)/押田隆太(91.12~99.3)/宮崎良太(91.12~99.3)
投稿
要素
なし(ハイスコアを出すことによる名前の掲載有り)
全国のゲームセンターのハイスコアを集計し、ランキングを掲載したコーナー。84年1月号の「
スーパーSOFTマガジン
」内で連載開始。
初代担当は、
うる星あんず
氏。その後、
見城こうじ
氏が担当となり、89年11月号から宮塚秀己氏がアシスタントとして参加。見城氏の引退後、91年11月号までは宮塚氏・やんま氏の2人体制に。その後、押田隆太氏・宮崎良太氏へと引き継がれた。
第1回の参加店舗は26店。同年9月号には100店を越え、歴代最高の123店となった86年7月号では、多すぎて
チャレハイ
に載せきれず、他のコーナーのスペースにも分けて掲載された(ちなみに、90年10月号の企画内で、50号記念号は114店だったと書かれているが、まさにこの別コーナーに載った6店舗を数え忘れているので本当は120店である)。
90年末頃から100店を切ることが多くなり、最終回では61店だった。平均参加店数は91.8店。
長く連載したコーナーだったが、200号リニューアルの影響で、予告もなく突然終了してしまう。
84年1月号から10月号の表紙では「チャレンジ SUPER HIGH SCORE!」と表記されている。
なお、掲載されたスコアは
当サイトで検索できる
。
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チャレハイ集計後記
ちゃれはいしゅうけいこうき
90年9月号から、
チャレハイ
最終ページに不定期で掲載されていたコーナー。前月に掲載されたスコアの訂正や、担当者(やんま氏・宮塚氏)の個人的な近況報告(スキーや温泉に行った話)に使われた。
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チャレンジ・ハイスコア年間集計
ちゃれんじはいすこあねんかんしゅうけい
その年のアーケードゲーム業界を、ランキングを通じて総括する、年末年始の恒例企画。
初回(86年分)は
チャレハイ
に登場した回数を単純に集計したランキングだったが、翌87年からは読者による人気投票とゲーム・センターのインカムも集計され、より正確に世間の評価を反映するものになった。なお、86・87年に実施されていた
チャレハイ
登場回数によるランク付けは、スコアのないゲームが選外となり不公平が生じるため、88年以降はランキングに反映されなくなった。89年に「
ビデオゲームグランプリ
」と改題。
各年の結果
1986年~1988年
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ビデオゲームグランプリ
ひでおげーむぐらんぷり
「
チャレンジ・ハイスコア年間集計
」のタイトルを改めたもの。89年から97年まで。
年々、結果発表号がズレこみ、96年と97年は翌年5月号での発表となった。
各年の結果
1989年~1997年
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チャレハイ
ちゃれはい
「
CHALLENGE HIGH SCORE!
」の略。この略称で呼ぶ事が多い。
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某K氏の呪い
ぼうけーしののろい
90年8月号の
チャレハイ
で、店別集計ページの掲載タイトルが、他のスコアの備考欄と合成されていた(例:『R6ボス手前ファイナルラップ』)という、比較的規模の大きな誤植のこと。担当の二人(宮塚・やんま)は理由がよくわからず、宮塚氏は
某K氏の呪いかもしれないね。(90.9p274)
と発言。当時、長年
チャレハイ
を担当していた
見城こうじ
氏が引退し、集計の誤りが目立つ中に発生した。
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2007/12/04
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